2001 ECLIPSE



光と影のポートフォリオ「ECLIPSE 2001」制作に当たって

沼澤茂美



はじめに

 ファインプリントにのめり込んで苦節10年。仕事である天体写真とは別に、地上の風景写真やプライベートなスナップ写真を中心に、クオリティーの高いモノクロ写真の探求をしてきました。しかし、多忙な業務スケジュールの中での作業は困難を究め、最近は撮影したネガが未処理のままたまる一方でした。現像も指定処方で外部に委託するようになり、バライタ紙の供給現状・デジタル環境の変化も考えると自分のファインプリントへの対応を今後どのような方向にもってゆくかが大きな課題となっていたような気がします。

 そんな中で、最近のインクジェットプリンターの表現力が増したこと、それに伴ってデジタルの入力から出力に至る環境が実用レベルにまで整ったことから、ファインプリントの表現をデジタルプリントへ託し、試験作品をまとめてみました。

 おそらくそれは、少し前なら対局の存在として対比の土俵にもあげられなかったものではないでしょうか。

しかし様々な見方で考えると、特に作家が意図するイメージを再現するという意味において、この新しい媒体はあなどれない存在ではないかと思います。

実際に制作を進めて行くにつれ、まったく新しい表現方法が加わったということが実感できます。


バックグラウンド

 本格的にモノクロ写真に取り組みはじめたのが1981年頃で、主に高解像度の天体写真を得ることが目的でした。天体写真はひじょうに純粋な光学性能を要求(エアリーディスクの追求と無収差)しますので、写真撮影の結果を追求するにつれ、光学系と写真処方を合わせた広範囲の分野の探求へのめり込んでゆきました。またプラネタリウム番組制作という仕事の中で、様々な投影用スライドの制作ノウハウを開発していかなければならず、リス系フィルムやグラビア系フィルムといった製版技術用との感材・処方も並行して研究してゆくことになりました。様々な処方・感材をテストし、やがて、それらの技術を一般写真にも応用する様になっていきました。身近なスナップや風景写真が主でした。天体写真で常用された、高解像度フィルムテクニカルパンを水素増感という方法でベーキングすると相反則不規が緩和されると同時に、もともとの感度が上昇し、広階調処法で処理しても高速シャッターが切れるなど・・・、様々なノウハウを一般写真に応用してゆくのはとても楽しいことでした。レギュラーからスーパーパン、赤外に至る様々な感材を用いました。ベストフォーカスを得るためのフィルムの吸引撮影は、天体では常識でしたので、35ミリから4X5までの多くの種類のカメラ及びフィルムフォルダーは吸引加工して用いました。天体写真で得た技術は、膨大な撮影テクニックのノウハウでした。

 それは、写真展の実際のファインプリントを目にして変化しました。新潟ではなかなか良い写真を見る機会がないのですが、F64写真家の写真展、ロバートメイプルソープの写真展は衝撃的でした。念願のアンセルアダムスの密着プリントは大判v疚密さとバライタの豊かな階調を再認識させてくれましたが、メイプルソープのプラチナプリントは、いままで見たことのない迫力を感じました。そのころすでにファインプリントの探求をはじめていたので、それは衝撃的で、いつかはプラチナをと夢見るようになりました。

必然的に、常用カメラは4X5のマスターテヒニカになり、感材は最終的にTMXに落ち着きました。TMXは、様々なテストで、流通フィルムの中で最も高い能力があることは容易に理解できました。しかし、そのダイナミックレンジを印画紙に再現する難しさを痛感していました。そこで考え出したのが、高鮮鋭度現像液で階調を圧縮し、エッジ効果で鮮鋭度を増すという方法でした。そのころ、現像液は高希釈したロディナールを多用しました。粒子の荒れは4X5のフォーマットが難無く補ってくれますが、枚数を重ねてゆくにつれて、階調の深みに物足りなさを感じてゆくようになりました。結局、TMXの最良の伴侶は専用現像液であることを見いだし、以後それを変えることはありません。

 バライタを用いたプリントワークは、定量的なトーンコントロールを可能にするため、グラビアフィルムを用いたマスク処理を開発してゆきました。この極めてアナログ的な前世代の製版テクニックは、輝度差の激しい皆既日食のコロナの再現などに応用し、内外で注目されました。しかし、同様のテクニックを一般写真に応用することは不可能でした。一般写真の視覚イメージをはみ出すような不自然なイメージを作り出すのです。最終的には、陰影をコントロールする古典的な焼き込み、覆い焼きに頼ることになり、完成プリントへの到達をとても不確実なものにしました。よく言えば職人技の修行であり、悪く言えば膨大な時間の消費を強いられたわけです。

 長い時間を必要とするファインプリントの制作は、なかなかすすまず、ネガだけがたまりながら何年も経過してゆきました。

 仕事の現場には90年頃からMACを導入し、天体画像のCCDの普及とともに、デジタル画像処理への依存が増加しました。5年くらい前からは書籍作りはほとんどがデジタル入稿になり、それに伴って、海外での需要もデジタル画像だけになってきました。コンピューターの処理速度が増したことが最大の理由ですが、もはや、私達は入力からフィニッシュまでデジタルに依存するビジネス環境にどっぷり浸かってしまっていたのです。そんな環境の下で、最近のインクジェットプリンタの出現は、最後の聖域だと勝手に思っていた、オリジナルプリントの世界を変えるものだと感じました。モノクロ写真を十分な解像度で処理し、すべてのインク(モノクロとカラー)を使って出力してみると、それは実に見事な出来で、今までの暗室の苦労を笑っているかのようにおもえたのです。


制作環境とプロセス

 今回の作品は、1988年の旅で撮影したもので、カメラはマミヤ7、レンズは46,65,80,150ミリ、フィルターは、なしまたはR60,R64 フィルムはT-max100 現像はT-max標準です。得られたネガはimaconのFlextight Precision-IIでスキャンし、丁重に画像処理した後、必要最低限のUSM処理を施し、短辺31センチ300DPIに縮めて出力しました。出力はエプソンPM-3000でA-3ノビ、光沢で、カラー印刷を指定しています。モノクロをカラーモードで出力するのは必須条件です。単色インクよりはるかに深みがでるのは間違いありません。しかし、ペーパーの質によって色調をもたらすため、注意が必要です。


●展望

 インクジェットプリンタが写真表現に大きな威力を発揮することは多くの人が認めていることだと思います。ライソン社からカラーインク壷に入れて使う多階調トーンインクやファインアートペーパーがでていることは、インクジェットプリンタへのアーティストの期待と依存の実体を物語っているようです。アーカイバル処理されたファインプリントと比較して最大の弱点だった耐光性・耐久性の問題も顔料プリンターの登場で緩和されつつあります。最近はこのプリンタMC-3000を使いはじめましたが、やや粒子の大きさと光沢印画紙の表現が染料に劣るとはいえ、無反射ペーパーやワトソン調の画材用紙での出力は、これからさらに広がる新しい表現法を予感させるおもしろさがあります。

 私はイラストレーターとしての経験も長いですので、最近のCG化の波を誰よりも強く感じているのも確かです。エアブラシ用画材の数は減る一方で、私の仕事もかなりの割合をCGが占めています。それでも、手書きの価値観は、美術館の本物の原画同様揺るぎ無いものだと信じ、オリジナルファインプリントも同様の存在だと信じていました。しかし、写真はそこに到達するためにあまりに不確定な要素が多いことに制作面での限界を感じていました。いわゆる、作品を作るためにエネルギーを費やすことが、作業のためにエネルギーを費やすことなってしまっていたのです。目的に到達されないもどかしさは、とても不健康なものだと感じました。

 デジタル環境が、意図する作品を生み出してくれるのなら、利用してゆくことに何も抵抗はありません。デジタルカメラも今年来年あたりに、大型作品を作るに十分なディティールとデプスを入手可能な条件ででてくるでしょう。赤外カットフィルターの着脱が可能で、富士のハニカム程度の開口効率と長時間露光時の暗電流のイズが大面積で実現されれば、コダックが2000年で生産を完了したラージフォーマットの赤外フィルムの代用にもなり、夢のような画像表現の世界が開けるのではないかと期待しています。